ベストセラー「がんばらない」で知られる
鎌田實さんの新刊「自分の値打ち」がいま机の上にある。
最近はもっぱらAmazonでの「指名買い」が多いが、
書店の面白さはやはり「偶然の出会い」にあると思う。
この本も偶然の出会いを果たしたその1つだ。
「僕自身の値打ちは何だろう?」
そんな疑問に考えるきっかけをくれる1冊だと感じ、
中身もろくに読まずに購入したのだが、
これが驚くほどいまの自分にとって必要な1冊だった。
ちょっと話は変わるが、
バリ島のグリーンスクールで僕の心に突き刺さったキーワードは
「コミュニティベース」という考え方だった。
彼らの中には「先生」や「生徒」「保護者」という概念はなく、
コミュニティで子どもたちを育てるのだ。
その考えと実践が強烈に僕に突き刺さった。
「境界線を引くことが問題をつくるのだ」と
頭の中で誰かがささやくようで、がつんと頭をたたかれた瞬間だった。
さて、
本書の中で鎌田さんは
「ひとりひとりの人間として、もっとも大事なことは何か?」というお題に対し、
「寛容さ」と答えている。これがグリーンスクールでの学びとつながっている。
ひとりひとりの人間として、僕たちにとって一番大事なことは何だろうか?
まず生き抜くことが大事だ。そのために必要なのは「寛容」だと思う。砂漠では他者と貴重な水を分け合い、食べ物を分け合う。それは生き抜くために必要な鉄の掟なのだ。
自分と違う考え方をする人や違う宗教、あるいは違う民族に対して寛容でいられるかどうかが、国家間においても、ひとりひとりの人間が生きていくうえでも大事なことだと思う。もし異質な他者の存在をみとめることができれば、差別は生まれず、おそらく戦争も防げるだろう。学校でも大人の社会でも、ちょっと変わった人がいてもその人を排除したりいじめたりせず、寛容でいられるかどうかが大切なのだ。
また、
イソップ寓話「アリとキリギリス」に対する見解もとてもおもしろい。
寛容について考えていたら、「アリとキリギリス」の話を思い出した。夏の間、アリがせっせと働いているのに、歌を歌ったりヴァイオリンを弾いたりしていたキリギリスは、冬になって食べ物がなくなり、アリのところへ行く。しかし「自分たちが働いている間、お前は何もしなかったじゃないか」と追い返されるという、有名なイソップ寓話だ。
この話は普通、「アリのようにまじめに働くことが大切だ」という教訓としてとらえられる。でも、僕は、「アリはなぜ、キリギリスの頼みを断ったのだろう?」と疑問に思っていた。考えた末に、アリの「嫉妬」「羨望」だったのでは…と思った。羨望は原始的な攻撃欲動になることがある。本当はアリだって、キリギリスと一緒になって時には歌ったりヴァイオリンを弾いたりしたかったのではないだろうか。冬になってキリギリスがアリのところへ来たとき、「じゃあヴァイオリンを教えてよ」と、キリギリスと一緒にご飯を食べていたら、両者が共存してアリも楽しい人生を送ることができただろう。そして、働いてばかりだったアリの世界は豊かになったはずだ。
境界線を引くことは自分を守る上で、とても大切だ。
けれど、この世界を生き抜き、より豊かに生きるためには「自分だけを守る」のではなく、他者といかに共存するかが求められ、その答えの一つがこの「寛容さ」にあると感じる。
自宅に帰ると、孫に好かれることに必死で、食べ物で子どもの心をつろうとしている父がいた。「もっとやれる方法はあるだろう」と小言を挟み、寛容さのかけらもない自分もいることをまた感じている。
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